國學院大学の陸上競技部監督の前田康弘さん。
イケメンですね!
前田康弘監督は、学生時代、陸上競技部に所属しており、駅伝で大活躍していました。
現役時代もイケメンだったようです!
箱根駅伝には出場したことがあるのでしょうか。
躍進を続ける國學院大学を率いる前田康弘監督の、学歴や経歴を深堀りしてみました。
國學院・前田康弘監督の学歴
前田康弘監督の学歴はこちらです!
前田康弘監督の学歴
- 1990年:小学校卒業
- 1993年:中学校卒業
- 1996年:市立船橋高等学校卒業
- 2000年:駒沢大学卒業
小学校時代から足が速かった
小中学校では、お兄さんの真似をして野球やサッカーばかりしていたという前田監督。
走るのが得意で足が速かったこともあり、中学生の時に駅伝大会に駆り出され、優勝したそうです。
高校から本格的に陸上へ
駅伝大会での優勝をきっかけに、高校では一番強いところで陸上に挑戦しようと決意。
県内トップレベルのスポーツ強豪校、市立船橋高校へ進学します。
しかし想像していた以上に周りのレベルが高く、記録順に分けられたA~Cチームのうち、前田監督はCチームだったそうです。
その現実が悔しく、「3年間絶対レギュラーをとってやる」と無我夢中で練習に励んだ前田監督。
その結果、1年生の夏には学年で1番強くなり、秋の大会はレギュラーで出場できたそうです。
そのあとも努力によって実力を伸ばし、2年生、3年生と全国大会のレギュラーを勝ち取り、県でトップの成績を残しました。
駒沢大学で箱根駅伝に出場
その後、一番最初にスカウトを受けた駒澤大学へ進学を決めます。
大学時代には、全日本大学駅伝で二連覇を達成。
箱根駅伝では主将を務め、駒澤大学初の優勝に貢献しました。
監督としてだけではなく、選手としても優秀だったことが分かります。
前田康弘監督の経歴
前田康弘さんは、大学卒業後は、富士通で競技を続けました。
しかし後のインタビューで、駒澤大学で箱根駅伝を優勝してから、目標を見失ってしまったと語っています。
箱根駅伝に全てをかけていた前田監督は、実業団に入ったあとの個人としての目標を見いだせず、燃え尽き症候群のような状態になってしまったそうです。
実業団ランナー時代は、数年で幕を下ろしました。
サラリーマンをしながらコーチを続ける
ランナーを引退したあと、20代後半でサラリーマンとしての人生をスタートさせた前田監督。
駒澤大学時代の恩師である大八木監督へ引退を報告に行くと、駒澤大学のコーチをしないかと誘われ、サラリーマンの傍ら、週末はコーチとして活動することになりました。
父の会社を継ぎ、経営者になるも・・・
30歳を目前に控えた前田監督は、今後の人生を考え、父親の会社を継ぐことを決め、会社を退職します。
ここで一旦、陸上の世界からも離れることになります。
しかし、父親の会社で経営のノウハウを学んでいる最中に、父親が急逝。
経営者としてまだ未熟だった前田監督は、父親の会社を畳むことを決めます。
絶望に暮れる前田監督に舞い込んだのが、國學院大学で監督をやらないか、という誘いでした。
陸上が前田監督を救ってくれたのですね。
【顔画像】現役時代がイケメンだった!
イケメン!と話題の前田康弘監督。
現役選手時代もイケメンでした!
前田康弘さんは、駒澤大学が2000年に箱根駅伝に出場した際には「主将」を務め、チームを初優勝に導いています。
優勝インタビューでは、恥ずかしかったのか?下の方ばかり見ていますが、笑顔も見られました。
そんな前田監督が率いる國學院大學の駅伝メンバーにも、イケメンが揃っているそうです。
イベントでチームの見どころを聞かれた前田監督は、
と話しています。
前田監督や國學院大學のメンバーに注目したいですね!
箱根駅伝での活躍は?
前田康弘監督が初めて箱根駅伝に出場したのは、1998年の大学2年生の時。
優勝争いもかかっており、前日は緊張で寝られなかったそうですが、初出場にしては落ち着いて走れたと語っています。
続く、大学3年生の時にも箱根駅伝に出場しますが、惜しくも優勝を逃しています。
その後、2000年に開催された第76回箱根駅伝では主将として大会に臨みます。
前田監督は4区を走り、この年、悲願の総合優勝を果たします!
高校時代から箱根駅伝を意識していたと話す前田監督。
高校1年生の冬にお兄さんと箱根駅伝を観ていた時に、「お前もここに出られるようにがんばれ」と言われたことがずっと心に残っていたそうです。
箱根駅伝への想いは、走れば走るほど強くなっていったといいます。
選手として頂点に輝いた前田監督が、今度は監督として頂点を目指します。
前田監督の持つこのストーリーが多くの人の心を惹きつけますね。
駅伝に愛された男の今後の活躍から目が離せませんね!
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